さくらのお勉強の時間

日常のふとした疑問や気になること、偉人達の名言などを勉強していく道のりの記録です。とにかくなんでもやってみよう、から始まる

昭和天皇 「雑草という草はない」

雑草という草はない

どんな植物でも、みな名前があって

それぞれの好きな場所で生を営んでいる

人間の一方的な考えでこれを雑草と決めつけてしまうのはいけない

 

これは「宮中侍従物語」という全八巻の文庫本に書かれているエピソードです

長く侍従長を務めた入江相政(いりえすけまさ)氏が編まれました

1965年9月、昭和天皇那須で静養中に

侍従らが皇居・吹上御所周辺の草を

雑草として刈ったと聞き、陛下がおっしゃられた言葉です

 

また「日本の植物学の父」と呼ばれ、多種の新種を発見し

命名も行なった近代植物分類学の権威である

牧野富太郎(まきのとみたろう)先生の言葉でもあります

 

 

 

天皇がお住まいの御座所の前のお庭を「広芝」(ひろしば)といいます

様々な植栽があり、夏になると草が生い茂ります

 

両陛下は夏休みに那須御用邸に行かれ、秋の初めにお帰りになる

お帰りになったとき草がたくさん生い茂っていたら、お見苦しいだろうと

侍従たちはその草を刈ることにしたそうです

しかし、人手が足りなく、陛下のお帰りに間に合いませんでした

 

入江さんは、こうお詫びをしました

「真に恐れ入りますが、雑草が生い茂っておりまして

 ずいぶん手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました

 いずれきれいに致しますから」

 

すると陛下はこうおっしゃられました

何を言っているんでしょう

雑草という草はないんですよ、どの草にも名前はあるんです

そしてそれぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです

人間の一方的な考えでこれを切って掃除してはいけません

  

生物学者らしい、陛下のお言葉でもあります

だからといって草ボーボーだったわけではなく

きちんと陛下も草取りをされたそうです

 

 

 

ある人にとってそれはただの草かもしれない

しかし、識者がみれば立派な薬草だという

 

道に転がる石を見て、誰もがそこを通り過ぎる

識者は僅かに光る宝石の存在に気づく

 

価値の判断とは、判断する人の能力の差に依存します

 

 

どんな草にも名前があり

どんな花にも花言葉があり

どんなに抜いてもまた生えてくる

どんなに踏んでも立ち上がる

 

そして

 

どんな草も四季を待ちわび

どんな草も陽の光をあび

生まれたからには

精一杯に二酸化炭素を吸い

新しい酸素を地球に贈る

その酸素に私たち地球は支えられる

 

ちょっと壮大になりすぎましたね

 

 

人も同じく

自分で生きる場所を選び

自分で選んだ道を進み

誰からも邪魔されず

自由に行きたいところへ行き

苦しくて膝をついても

また立ち上がり明日を夢見る

 

全ての生に意味があり、かけがえのないもの

軽んじていい生命などなく

どんな命にも存在意義があるのです