さくらのお勉強の時間

日常のふとした疑問や気になること、偉人達の名言などを勉強していく道のりの記録です。とにかくなんでもやってみよう、から始まる

「常識」 私にとっての常識は、あなたにとっての何?

こんにちは、こんばんは

今日はなんとなく使っている「常識」について考えてみたいと思います

 

先日あった出来事がきっかけでした

 

Aさんが後輩B君を食事に誘い、それほど高価な食事ではないですが

ファミレスで好きなものを頼んでいいよ、という感じです

食事も終わり、会計となったときこんなやりとりがありました

 

B君 「自分のぶんは払いますから」

A先輩「いいよいいよ、俺のほうが先輩だし、今日は奢るよ」

B君 「ありがとうございます、ご馳走になります」

 

よくある光景ですよね

 

翌朝、B君はいつものように出社し、いつもどおり仕事を始めます

B君「おはようございます」

するとAさんがすごい剣幕で近づいてこう言います

A先輩「おまえ、昨日奢ってやったのに今朝、俺にお礼のひとつもないのか?」

B君は驚きます

・・昨日支払いの時にちゃんとお礼言ったし、感謝の言葉も言ったけどなぁ・・

「あぁ・・すみません。ごちそうさまでした、ありがとうございました」

A先輩「奢ってもらったあとはな、次の日の朝もお礼を言うのが

    社会の常識なんだよ常識わかる?なんでお礼言わないの?最近の若い奴は」

B君「昨日食事後ににちゃんと言ったので、特に考えてませんでした。すみません」

A先輩「そんな常識もないのかよ。まわりはみんなはやってるぜ、常識だよ」

 

おやおや穏やかではないですね、ただならぬ雰囲気が漂ってきました

AさんがC子さんへこの顛末を話して、周囲へ飛び火していきます

 

A先輩「Bさ、昨日奢ってやったのに今朝お礼もないんだぜ、常識ねぇよな」

C子「そうなんだー、奢ってもらったら常識よねー」

A先輩「俺が社会の常識ってヤツを教えてやったよw」

 

そしてD美さんが巻き込まれていきます。

 

C子「B君さ、次の日お礼ないなんてありえないよねー」

D美「そうなの?でも支払いの時は、自分の分は出すつもりみたいだったし

   払ってもらったあとに丁寧にお礼してるんでしょ、それでいいじゃない」

C子「でも次の日のお礼は常識でしょ。みんなやってるし、常識よ」

   それにさ、年上なんだから払うのも常識、あたりまえよ」

D美「待って待って。常識常識って、私F先輩と普通にワリカンするけど?

   奢ってもらうこともあるけど、年上が払うのが常識とか、違うんじゃない?

   それにお礼しろなんて言われたことなんかないよ。」

C子「え、じゃぁD美は次の日お礼言わないの?」

D美「言うけど常識って言われると違和感あるな

   逆にC子は後輩とごはん行ったら全部毎回出してるワケ?」

C子「いや毎回出すほど余裕ないから。。でも少し多く払うよ」

D美「それ、後輩からみたらC子が年上だし全部払うのが常識ってことになるけど?」

C子「そこは全額出せない私も、負い目に思ってるところ。

   でもみんなより多く負担してるし、お礼くらいあってもいいと思う

   誰も言ってくれないけど」

D美「私は翌朝お礼がないからって非常識なんて思わない。

   お礼をしてもらうために奢ったんじゃないし。

   料理や会話を共有できたらそれで満足。非常識とか思わない」

C子「でもD美も常識だからお礼言うんでしょ?常識だからやってるんでしょ?」

D美「いや、それとこれとは別。礼儀作法としてお礼は言うけど

   常識と言われるとそれはあなたの常識でしょ?って言いたい」

 

だいぶ平行線です、とうとう私にも飛んできました

「ねぇねぇさくらさん、どう思う?常識?非常識?どっち?」

 

どちらが正解というのはひとまず置いて於いて

・人それぞれもつ「常識」がある

・自分の「常識」は他人の「非常識」の場合がある

ということを理解しないと交わることができません

 

大辞泉小学館)からの引用によると

一般の社会人が共通に持つ、または持つべき普通の知識・意見や判断力

「ーがない人」「ーで考えればわかる」「ーに欠けた振る舞い」「ー外れ」

[補説]common senceの訳語として明治時代から普及

 

wikipediaによると

常識は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

 

「一般常識として~」なんてよく使われる枕詞ですね

常識というと、それが普遍的なルールで誰もがそれに従うべき、そう聞こえます

 

例えば「太陽は東から昇り、西へ沈む」これは常識でしょうか

日本に住む私たちにとって、これは当たり前であり「常識」ですね

西から太陽が昇ることはありません、ありえません

北半球の北回帰線より緯度が高い地域では、太陽を正面に見た場合

左手方向から右手方向へと動きます

一方、南半球の南回帰線より南の地域では、太陽を正面に見た場合

右手方向から左手方向へと動きます

東から西へという方位は同じでも、太陽の動きは正反対に見えます

 

では「太陽は東から昇り、西へ沈む」は当たり前の「常識」なのでしょうか

実は緯度の高い地域には「白夜」という「日が沈まない」季節があります

逆に「極夜」という、沈んだまま昇ってこない季節もあります

「太陽は必ず昇る・沈む」というのも、一部の地域では常識ではありません

 

みなさんもよく食べるラーメン、どうやって食べますか?

「すすり」ますよね

欧米ではこの「すする」、なんとこれNGなんです

 

知ってるよ!という声が聞こえてきますね

実は箸を使う文化の中国やベトナムでも「すする」は良いマナーとされていません

ラーメンはすすって食べるもの、と思っているのは実は日本人だけだったりします

 

ほかにも、文書に記入する場合

日本では「黒のボールペンで」と指定される場合があります

海外では「黒インク」はコピーと間違えたり、複写との見分けがつかないため

「青インク」でサインするのがよい、とする文化もあります

万年筆などは青いインクですね

 

マナーや礼儀作法というのはある意味常識に近く

正しいとされることが体系化されルール化し一般化したものですですが

その常識やマナーが通用するのは、そのコミュニティ内の範囲だけ

という場合が往々にしてあります

 

アメリカの作家、アール・ナイチンゲールはこう言います

「常識」とは

ある一部のコミュニティの中で、多数派が自分たちを肯定するために使う常套句

多数派とはいえ絶対に正しいわけではなく

少数派だからといって、必ずしも間違っているとは言えないのです

常識という言葉を使い「自らこそが正しい」と言い聞かせているにすぎない

ステレオタイプに陥っている可能性も否定できないわけです

 

研究開発の分野では

「常識を打ち破れ!」「常識に囚われない発想」などよく聞くフレーズです

発明などは、常識とは違う発想からしか生まれないと言うと、なるほどと思います

 

アインシュタインはこう言いました

常識というものは世間一般に信じられているほどの根拠を持たない

 

「誰かの常識は、だれかの非常識」

 

さてさて長くなりました

私はC子とD美には何と答えたでしょうか

 

常識かと言われればそれはNO

ひとによって常識は違うので「必ず言うべきだ」というのはちょっと違う

それにお礼を言うか言わないかを決めるのはこちらが強制することではなく

相手が決めること。お礼が欲しくてやってるわけじゃない

けど「良識」という範疇ではYES

お礼をすればお互い気持ちいいし、言われたほうも悪い気はしないよね

また会いたい、話したいと思えば自然とでるものじゃないかしら

 

Aさん、後輩にリスペクトされてないだけじゃない?

と思ったのは私だけでしょうか?・・

 

まとまりもなく、長くなりました申し訳ありません

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

今日はこのへんで、ではまた